代表理事ごあいさつ

認定特定非営利活動法人 レスキューストックヤード
代表理事 栗田 暢之

栗田 暢之

1995年阪神・淡路大震災から四半世紀。自身のパラダイムチェンジにもなったこの年に、三つのチャレンジを課しました。一つ目は「被災者支援の継続」。震災から約3週間後に初めて訪れた神戸市長田区の現場は、何もかもが焼け、修羅場と化していました。足がすくみ、「よそ者は入ってはいけない」とも感じました。しかし、避難所など被災者のまわりには、多くのボランティアが寄り添っていました。一緒に活動した当時の学生らとともに、何ができるかを考えました。これが自身の原点でもあります。そして、月日の経過とともに、現場での活動は様変わりしていきますが、その後も毎年訪れる「1.17」で、当時のことやそれまでの日々を熱心に語る多くの被災者の生の声に耳を傾けています。

二つ目は、まさにこうした「生の声」を、南海トラフ地震などに代表される地元での災害を含め、「次の現場で活かす」ことであります。気付けば、もう50箇所以上の現場に携わってきました。当たり前のように災害ボランティアセンターが設置される現在よりも前から、おせっかいにも足しげく被災地に出向き、被災者宅で汗を流したり、一緒に泣いたり笑ったり、また、支援のしくみづくりに知恵を絞ったりしてきました。中でも、2000年東海豪雨水害では、地元が試されました。都市型水害による被災世帯の多さにひるみつつも、約2万人のボランティアが復旧・復興の礎を築いてくれました。しかし、2011年東日本大震災では、何から手を付ければいいのかさえわからない暗中模索の状況に陥りました。かねてより支援を約束していた宮城県七ヶ浜町での活動や、多くの市民セクターの集結を呼び掛けた東日本大震災支援全国ネットワークの構築、そして主に原発事故により愛知県へ避難されてきた被災者を支える愛知県被災者支援センターの受託など、その時々ですべきことを必死で考え、行動に移してきました。しかし、いずれも力及ばずでありました。それは、まさに三つ目の「ネットワークの構築」が不十分だったからです。それまでのネットワークは脆弱かつ属人的だったことは否めません。これでは、次の巨大災害には全く通用しないことは明らかです。

25年という月日から出る自身の驕りや慢心も反省し、再度パラダイムチェンジを果したいと考えています。「被災者一人ひとりへの丁寧な支援」「生の声を災害現場や平常時の防災・減災に活かす」「より多様で有益なネットワークの構築」を3本柱とし、改めてチャレンジして参る所存です。引き続きのご支援・ご協力、ご助言・ご指導賜りますようよろしくお願いいたします。

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